早川大輔(スケボー) wiki経歴プロフィール|年収がすごい!堀米雄斗との関係は?

著名人

 

2021年東京オリンピックで金メダルを獲得した堀米雄斗選手。

日本に勇気と感動を与え、日本でのスケートボードの認知度をあげる活躍に大きく貢献しました。

そんな堀米選手をコーチとして幼少期から支え、彼をここまで大きく成長させるために一役買った人物をご存じでしょうか?

その人物は「早川大輔さん」です!

ここでは早川大輔さんに焦点を当てて、その経歴やプロフィール、堀米雄斗選手との関係性などを紹介していきます。

 

早川大輔(スケボー) wiki経歴プロフィール

早川大輔さんは東京都出身の48歳。

1990年代の第3次スケートブームの際にスケートボードに出会います。部活動にはない自由なスケールで動けるスケートボードの魅力にハマっていき、取り憑かれたようにスケボー三昧な日々を過ごします。

実家の家業でもある理髪店をいずれは継ぐのだと考えており、高校卒業後は専門学校に進学し着々と準備を進めていました。

ここでスケートボードへの区切りをつけるため、憧れでもあった本場アメリカのロサンゼルスにスケボー旅行へと赴きます。ですが区切りをつけるどころか、ここでスケートボードへ対する想いが強くなりこの道で生きていくことを誓います。

そこからはスケートショップでアルバイトで生計を立てながら、大会に出るといった日々を送ります。当時日本ではスケートボードの認知度はあまりにも低く、スケートボード一本では中々生活はできなかったようですね。

スケートボード繋がりの先輩からの影響もあり、自分のブランドを持つことに興味を持ち早川さんは『HIBIRD』というお店を立ち上げます。

引用:http://hibridsb.com/

 

「良い思い出も苦い経験もスケートボードに携わってなかったら味わえなかった」と語るようにスケートボードに対する想いがいまの早川大輔さんを形作っているようですね。

 

早川大輔(スケボー) の年収はどれくらい?

早川大輔さんの年収は明らかになっておりません。

早川さんはスケートショップの経営に加え、東京オリンピックでは代表選手のコーチングスタッフとして活動されています。

「一時期は多くの借金を抱え、奥様に苦労をかけた」と本人は語っております。若い時はプロスケーターとして活躍されていた早川さんですが、当時の日本ではスポンサーが生活費を賄ってくれるだけの資金の提供はされませんでした。

そういった経験を踏まえて、現在SKATE HARD Inc.の代表取締役として、若い才能をアメリカに派遣するためのプロジェクトを行ったりなど未来のスケーターたちの人材育成にも取り組んでいます。早川さんは自分のためだけでなく、スケート界の未来に大きな投資を行っているんですね。

 

堀米雄斗とコーチ早川大輔の関係は?

堀米雄斗選手と早川大輔さんの出会いは堀米選手が13歳の頃。堀米選手のお父様が早川さんに息子である堀米選手を紹介したことがきっかけです。

早川さんは堀米選手の才能に惚れ込み、「雄斗をアメリカで成功させること」を自身の目標に掲げ、それに対して全力で向き合っていくのでした。

早川さん自身が目指していたアメリカでプロスケーターとして活躍する夢を堀米選手なら叶えられると知識や経験、さらにはアメリカへの海外遠征と惜しみなく堀米選手を支援していきます。

自分の家族やお店のこともあるのに、なぜそこまで堀米選手に入れ込むのでしょうか?
それは初めて会った日に早川さんが堀米選手に「雄斗はどうなりたいの?」と質問をすると、「アメリカでプロになりたい」と発言。

この言葉を聞いた瞬間に「自身のこれからの目標が決まった」と語っております。堀米選手活躍の一番の要因は早川さんとの出会いだったのかもしれません。

また早川さんも堀米選手との出会いが自身にとって生活を送る上での大きな活力になったに違いありません。

 

まとめ

今回は早川大輔さんの経歴や年収・堀米選手との関係性について紹介してきました。

自身が時代背景や知識不足からアメリカで活躍できなかった経験から次世代の子供たちが活躍できるようにと尽力してきた素晴らしい人物でした。

これから第2の堀米選手が早川さんによって生み出される日が来るかもしれませんね。
東京オリンピックによって注目が集まったスケートボード。
今後日本でもプロとして生活できるだけの選手がどんどん現れるかもしれません。

早川さんが夢に見たスケートの普及もこれからますます広がっていきそうですね。

 



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